2011年 03月 23日 ( 1 )

3月11日のこと

3月11日・・
午前中、私はデパートへと出かけていた。
翌日が父ちゃんの誕生日だったので、「今日は前祝をしよう」とデパ地下で食材を買い込み、
昼過ぎには家に帰る。 
この日は小雪が舞う日で、その雪が止むのを待ってニコと午後の散歩。
散歩を終え、家に入って間もなくのこと・・
ミーシミーシという変な音が聞こえた様な気がした直後に、ものすごく激しい揺れ!
立つ事もできず、リビングの真ん中にしゃがみ込んでいた。
すぐ近くのベンチの上にいるニコを見つめているのがやっとだった様に思う。
新聞によると、およそ100秒くらいとあった様に思うが、それはとてつもなく長い揺れに感じた。
しかも一度治まったと思った瞬間に、また激しい揺れ!
「あ~、とうとう宮城県沖地震が来たんだな」と思った。

揺れが治まってから外を覗くと、ご近所の方が外に出ていたので、
私もニコを抱き外に出る。
「怖かったね~」「昔の宮城県沖より強いよね~」などと話しているうちに、
「津波が来るから避難する様に!」と避難勧告を受ける。 (後に勧告は指示になった)
急いで家に戻り、ニコに洋服を2枚着せリードを着け、ポシェットに携帯と財布と通帳を詰め込み、
自分もダウンを着て外に出る。
ご近所の方たちと声を掛け合いながら、すぐ近所にあるCOOPの屋上へと避難。

何度もやって来る激しい余震、
降り出した雪は吹雪きになり避難した私たちに吹きつけ、「なんて無情なのだろう」と思った。
ニコはと言えば、心臓をバクバクさせガタガタと震えてる。
私のダウンの前を開け、その中に入れて雪に濡れない様にしてあげた。
私も緊張からか胃が痛くなったりして。。

そんな中、COOPで働いている方々は自分たちも怖いであろうはずなのに、
避難した私たちに声をかけ、
寒くない様にと売り物の真新しい毛布や懐炉、傘、軍手、靴下・・
それから飴やチョコレート、パン、飲み物など、次々と提供してくれる。

COOPで働いている方たちと町内会の男性たちが力を合わせ、屋根だけの簡易テントを張り、
その周りをビニールシートで囲んでくれる。
それで雪に濡れる心配はなくなった。
それでも寒かったのだろうけど、次々に来る余震の恐怖で寒さも感じなかった。

そんな中、けっこう早い時点で両親や姉家族、父ちゃんとは連絡が取れ、無事を知り安心する。

何個かの簡易テントに分かれ、みっちりと肩を寄せ合って座っていた私たち。
中には思う様に動けない老人や、小さな子供もいて、
本当なら私の手をも何かに貸すべきなのだろうと思っても、
震えるニコを守れるのも私だけで、結局はみんなと一緒にテントの中にニコと座っていた。
そのニコは、ちょうど3歳くらいの男の子とピッタリ向かい合う様な形となり、
その子のお母さんに、「すみません、イヤではありませんか?」と聞いてみたら、
優しく「大丈夫です」と言ってもらえて安心した。
男の子も、とても優しく可愛らしい子で、パンなどを皆で分け合って食べる時にはニコの分も心配してくれた。

日が暮れる頃には、老人や子供たちとその家族は近所の病院へと移動。
その後で私たちもと声がかかるが、ニコが病院に入るのは無理だろうと思い、
近所の19歳のワンちゃんたちとCOOP屋上に残ることにする。

車を出せないかと、ニコを抱き、いちど家へと戻ってみる。
逆流した水がマンホールの蓋から噴出し、家の前の道路まで来ていたため
お隣の庭から回りこんでフェンスを越え、駐車場へと行ってみるも車を出すのは厳しい状況。
近くにいた消防署の方が「出してあげてもいいけど、出せるかどうか賭けになる」と言うので諦め、
またニコを抱きCOOPの屋上へと戻る。

ストーブをつけてもらい、カップ麺も作ってもらい、残っていた皆で食べるも・・
ぬるい上に固くて、「美味しくないね~」と苦笑。
スープもトイレの問題が心配で飲めなかったし、だいいち食欲がなかった。

そんな風に避難している間にも、
燃え盛る火が見えたり、仙台港へ10メートルの津波が来てるというラジオからのニュースを聞いたり、
すぐ近くの川に家が流されて来てると聞いたり、そして激しい余震・・・
それでもみんなで一緒にいる事で我慢していられたのだと思う。
町内会の男性の方々も心強く、ニコも私も守ってもらえていたのだと思う。

夜9:30頃だったか、10:00頃だったか、
見回りに出ていた町内会の男性から、私の家の前の水が引いた事を知らされる。
今度はニコを一緒にいた19歳のワンコ(元気くん)のママさんに頼み、一人で車を取りに行く。

車をCOOPの屋上に持って来てからは、元気くんと元気くんママ、ニコと私は車で寝る事に、
他に一緒に残ってくれていた町内会の方たちは病院で寝る事にして分かれる。
COOPの屋上には私の車の他にも、同じ様に車で避難している家族がたくさんいたので心強かった。

父ちゃんが私の車の窓を叩いたのは、PM11:30頃だったと思う。
停電になった上に、ものすごい渋滞で時間がかかったらしい。
仙台中心部から歩いて帰って来た人も多かった。
元気くんとニコはぐっすり眠っていたけれど、
私たち3人は車のワンセグで地震の様子を見ながら軽く眠った程度だったと思う。


ここから下の写真は、翌朝、父ちゃんが仕事に行く前に着替えのため家に寄り撮影したもの。

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グラス類の多くは壊れたけれど、

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食器棚が作りつけの上に、扉が開かない様に日頃からゴムで留めていたため食器は無事なのが多かった。
大きな物で壊れたのは、上の写真で床に転がっている電子レンジのみ。
テレビもパソコンも大丈夫だった。
しかし、家具類はもとあった場所よりも大きく移動していた。
もともと背の高い家具が少ないので、転倒した家具は無し。

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玄関。
キャバリアの置物は壊れてしまったが、

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maymayさんにいただいた編みぐるみや、オーちゃんmamaさんが作ってくれたクッションは無事。

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壁に下げていた絵皿や、
たくさんのキャバやファンキ~やニコの写真が入ったフレームもほとんど落ちなかった。


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さてさて今日のニコですが、

昨夜から今朝にかけ何度か大きな揺れの余震があり、
やはりその度に驚いています。(私もそうだから仕方ないね)
けれど抱いてる時や、一緒に寝ている時には、「大丈夫だよ」と声をかけてあげれば安心する様。

それから、「何か送ってあげたい」という優しいコメントもいただきましたが、
姉夫婦や、父ちゃんの弟夫婦、友人からの救済物資で大丈夫!
今日の私は、どこへも並んでいないし・・。
東北道も大型車が通れる様になったらしいので日に日に物流も正常化して来ると思われます。
みなさんの優しいお気持ちだけありがたくいただきます。 ^^

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これは、電気が復旧する前。
近所の方が持って来てくれたおにぎりに興味津々のニコ。
COOPの屋上に避難していた時も、震えながらも食欲だけはあったニコです(笑)。

そう、家に戻ってからはね、周りのみんなと少しずつ色んなものを分け合い、声を掛け合いました。
お借りしたストーブも、その一つです。
by funfunniconico | 2011-03-23 12:34 | 日常あれやこれや・・ | Trackback | Comments(18)